マーケティングの意味を考えると、欧米の難しい理論や、MBAのような賢い経営学のようなものをイメージするかもしれません。
でも世界最古のマーケティングと言われているのが、江戸時代の日本の呉服店。
言っているのは、ドラッカー。
あの『もしドラ』のピーター・ドラッカーです。
※一応わらうところです。
世界で最初に近代的マーケティングを実行したのは、 1673 年に創業した日本の「越後屋」
『マネジメント課題・責任・実践』
三井越後屋
で、このドラッカーが世界初のマーケティングと言っているのは、江戸時代(1673年)、呉服店、三井高利の三井越後屋です。
越後屋ってベタな名前ですが、現在の名前は「三越」です。
三井高利(1622~1694)は、三井財閥の基礎を作った人物です。
顧客の創造
ドラッカーと言えば「顧客の創造」。
組織や企業、事業の目的は「顧客の創造」である。なんて聞いたことがあるでしょう。
正直なんのこっちゃ???と思うはず。
抽象的には考えられても、具体的に形にするのは難しいからです。
でもすでに、具体的な実例があったということですね。
越後屋が行ったこととされているのが、呉服店での販売方法です。
現金掛値なし
「現金掛値なし」として、安く現金取引にしたのです。
当時の商取引の常識は、掛け売りで年2回の後払いのみ。
店舗の対面販売
お店を構えて、対面販売で切り売りにした。
これも当時は訪問販売が常識で、反物単位での売買。
切り売りすることにより、仕立てまで行うことに。
これにより半端なきれが常にあるので、子どもの着物にも対応が可能に。
この時点でライバル不在なので、一人勝ち状態に。
チラシ
そして日本初のチラシと言われる「引札」で50万枚程度の広告。
この広告効果を、売上高によりチェックしていたとそうです。
傘の貸し出し
屋号の入った番傘を無料で貸し出し。
雨の多い日本ですから、傘も販促ツールとしてつかっていた。
などなど、現在の販促の基礎となることを世界に先駆けて行っていたんですね。
卸売業
店舗を構えることで、全国の呉服行商人のために卸売りも開始。
当時は着物の卸売業がなかったため、行商人はここにくれば安定した価格で仕入れることができるようになった。
ブランディング
丸に井桁が入った”越後屋マーク“をつくり、のれんや風呂敷に印刷。
日常的に自社ブランドのマークを目にすることになります。
今でも三井系企業の社章に引き継がれているとか。
でもこれって販促手法であって、顧客創造のマーケティングではないのでは?なんて思いますが、そうとも言い切れません。
「モノ」「コト」ではなく「ヒト」
マーケティングの中心は「ヒト」です。
現金払いも店舗も、今ではむしろ常識ですよね。
今やったところで、顧客の創造にはなりません。
今の人たちには何に困っているのか?
どんなことなら喜んでくれるのか?
「モノ」や同じ「コト」は、売り手が主役。
でも同じ「モノ」や「コト」は続きません。
なぜなら「ヒト」が変わるから。
相手が主役の「ヒト」こそがマーケティングの神髄なんでしょうね。
たとえば現金掛値なし。
ツケの方が、むしろ買いやすいのでは?と思ってしまいます。
でも当時の呉服店は、庶民を相手にしていなかったのです。
訪問販売だったのも、お城や武家へ出向くので店が必要なかったんですね。
つまり、都度の現金払いで、切り売りもする。
これは、客でなかった庶民という客を作った、ということなのです。
ただし、この販売方法へ切り替えたため、当時の武士は激怒。
三井越後屋は、武家(武士の家)を出入り禁止になっています。
しかし庶民というマーケットの方が条件も良く大きかった。
もちろん、昔のやり方のままだった同業者も。
やっかみから、放火、排斥運動、訴訟などの妨害工作などを行ったそうです。
しかし三井越後屋が幕府から呉服御用達に命じられることで終了。
同業者もマネをすることになったとさ。
マネもできずに消えていった所も多いでしょう
。
自分のできる範囲だけでやるのはかんたんです。
でも、時代の変化についていくって、大変ですからね。
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